【注意】
こちらの記事は Singular Points -Beyond the Horizon- のアフターストーリーです。
楽曲の視聴およびストーリー本編の読了がまだの方はこちら(Singular Points -Beyond the Horizon-)を先にご覧ください。
アフターストーリー / Singular Points -Beyond the Horizon-
二○一七年九月七日
[受信ログ001]いま帰ります
メッセージが届く直前、地上三百キロメートルの時空を切り裂いて〝船〟は派手に降臨し、この星の静穏を、そして、世界の因果を破壊した。
「博士、大変です! 成層圏に未確認の物体が現れました」
「見せて。えっと……これね、ここ拡大してもらえる?」
「博士、こちらでメッセージを受信しました。ビット順序が逆でしたが、解読できました。こちらです」
画面を覗き込む人物と、しばしの沈黙。
「……ふふ、面白くなってきたじゃない!」
そう笑いながら、瑠璃色の髪を二つに結った白衣の科学者は、軽快な足取りで部屋を出ていった。そのとき部屋中のモニターは、巨大宇宙船シンギュラリティ号が、ちょうど地球へ帰還する瞬間を映し出していた。
「船長!! ヘルメス号はまもなく着陸地点に到着します……! しっかりと掴まってくださいね!?」
地上で新たな物語が芽吹く一方、わたしはジゼルと共にパンドラ計画の最終フェーズの真っ最中だった。そう、わたしたちはあの決死のブラックホール突入の後、トンネルを潜って〝世界の裏側〟からの生還を果たしたのだった。
逆噴射による強烈なGを受けながらも、わたしたちは外傷のひとつも負わず、地上へと着陸することができた。
長旅の感傷に浸る間もなく、ジゼルに誘導されてヘルメス号を降り、久方ぶりに地表を我が足で踏みしめたこの場所は、この世界で宇宙開発を行っている〝組織〟の敷地だった。無機質な建造物が並ぶその周囲には、見渡す限りの山脈が連なり、ここが極秘の基地であることは一目瞭然だった。
ヘルメス号は実は、わたしとマスターが運営する旅行会社〈Between Dimension〉の旅客機であり、出発時の打ち上げはすべて自分たちで行った。一方で、シンギュラリティ号を製造し、パンドラ計画を主導したのはこの組織であり、彼らに帰還時の着陸地点としてここを指定されていたのだった。
そうしているうちに、目の前に建つ扉が重い音を立てて開きはじめ、中から人影がおもむろに近づいてきた。
「おかえりなさい──」
まるで聞く者の心を優しく撫でるような、ゆらぎを持った艶やかな声が響き渡る。
「そして、ようこそ」
声の持ち主──そこに現れた人物は、わたしと容姿が瓜二つの、白衣を身に纏った青髪の麗人だった。
「ただいま戻りました、〈博士〉……!」
「ごきげんよう、ジゼル。とてもよくやってくれたみたいね」
どうやらジゼルは彼女と面識があるらしい。わたしはその人の噂を耳にしたことはあれど、彼女の名前も正体も知らなかった。
「はじめまして、ゆずみさん」
呆気にとられているわたしを見て、彼女は話しかけてくる。
「私は〈結理(ゆうり)〉。ここの研究員でもあり、あなたたちが遂行した任務──パンドラ計画の〝司令官〟よ」
「あなたが……」
そう零した後、一息ついてわたしはあらためた。
「結理博士、でよろしかったでしょうか。その……わたしたちのこと、ずっと見守っていたのですか?」
「ふふふ」博士はほほえむ。
「ゆずみさん、あなたのことはずっと前から知っているわ。歌が大好きなことも、素敵な〝パートナー〟が居ることも」
わたしをうっとりとみつめながら、博士は続ける。
「でもね、パンドラ計画に参加したのがあなただったことは、今知ったわ」
どういうこと? パンドラ計画にわたしを引き入れたのは、司令官の結理博士ではないの?
その言葉の意味を理解できずにいると、博士は続けて説明した。
「ゆずみさん、あなたが発ったのは二○一八年の十月二十八日……だったかしら? 今日は二○一七年の九月七日。あなたは時空を超えて、任務が始まる約一年前の〝過去〟に戻ってきたのよ」
そう話す博士が目を遣る先にあったのは、工場から移設されている、今まさに建造中のシンギュラリティ号だった。
わたしは考えを巡らせ、何が起きたのかを漸く理解した。あのワームホールは、未来から過去へと向かうトンネルであり、わたしたちは時間軸を遡ってここへやってきたのだった。
「……もしかして、今この世界には〝過去のわたし〟も同時に存在しているのですか?」
わたしは質問してみる。
「その通りよ。正確には〝この世界〟ではなく〝この時間〟だけれどね。物理学的には、世界線はひとつしか存在し得ないの」
結理博士が横一文字のジェスチャーをする。
「今この瞬間、ゆずみさんという人間は〝三人〟存在しているわ。私と話しているあなた。あなたの相方──結数氏と日常を過ごしている、まだ何も知らないあなた。そして、まさに今トンネルの中で、時間を逆行中のあなたよ」
同じ時間軸を行ったり来たりすることによって、同一時間に同一人物が複数人存在してしまう。SF作品などを通じて、この現象を認識はしていたけれど、実際に当事者になってみると、言葉では表し難い奇妙な感覚に陥った。
「そしてね、今ここにあなたたちが居るということはね──」
結理博士がさらに語る。
「私にとってパンドラ計画は、それが実行される前に、成功することが約束されてしまったの」
「データはすべて、この私が〝既に〟博士に届けましたもんね…!」ジゼルが補足するように応答する。
「だから私は、選択の余地などなく、あなたを搭乗員に任命させてもらうわ、ゆずみさん」
そういうことだったのね。博士にわたしを任命させたのは、他でもない、任務から帰還したわたし自身だった。でも、それはわたしの意思ではない。──博士の意志でもない。ここには因果などは存在せず、まるで決められた台本を演じるように、わたしたちは運命に従って行動していたのだった。
「……ジゼルはすべて知っていたんですか?」
世界の理を把握したわたしは、答え合わせを求めて詮索してみる。
「いいえ、彼女にも伝えないつもりよ。旅の結果も、あなたとの出会いも」
「もし私が秘密を知っていたら、船長を〝ポッド・ベイ・ドア〟の外に締め出すことになっていたかもしれないでしょう!?」
ジゼルが有名な台詞を交えたジョークを飛ばす。彼女はいつだって場を和まそうとしてくれた。
「そうだったのですね。安心しました、ジゼルがわたしと同じ気持ちだったと知ることができて」
「当然ですよ、船長……!」
相棒はどや顔で宣言した。
「あなたはこの任務に対してとても協力的──そして前向きだったと、ジゼルから報告を受けているわ。ゆずみさん、本当にありがとうね」
そう言う結理博士の表情は優しく、どこか儚げだった。その顔を見れば、次に出る言葉を察することはたやすかった。
「でも……ごめんなさい」
博士は申し訳なさそうに続ける。
「あなたを、過去のあなたにも──結数さんにも会わせるわけにはいかないの。世界がそれを許してくれないの。だから……あなたをすぐ家に帰すことはできないわ」
その言葉を聞いて、わたしは寧ろ安堵した。あの果てなき旅が終わった実感が、どっと押し寄せてきたからだった。〝無限の星々も、運命の行く末も〟わたしはこの目で見てきたんだもの。もう、どんなことでも受け入れようじゃない。
「わかっていますよ、博士。今は任務が成功したことを嬉しく思います」
「さすがね……でも、安心して! 過去のあなたが出発したらすぐに、結数さんの元へとあなたを帰すわ。彼女にとって、あなたとお別れしている期間はほんの数分よ」
それはとてもありがたい提案だった。これなら、マスターは寂しい思いをせずに済む──わたしの唯一の気がかりも払われた。
「たいしたもてなしはできないけれど──」
そのとき、空が晴れ渡ったような気がした。
「それまでは、我が宇宙開発組織〈ELIDYUNE(エリデューネ)〉で、どうかゆっくり過ごしてちょうだいね」
博士がそう言い終わると、わたしたちは基地の中へと歩き出した。
「──きっと懐かしいはずよ、ゆずみ」
そうつぶやいた結理博士の眼差しは、淡い雫を通して眩く、まるで生き別れた妹に向けるような穏やかなものだった──。
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