【Side Story】アンタレスの果実
- CorSoYuz
- 7月7日
- 読了時間: 10分
更新日:7月8日
むかしむかし遥か南の果ての島で、小さな少女が暮らしていました。
石蕗(つわぶき)色の髪を持つ少女は名をミカといいました。
ミカは心臓が悪く、自由に遊びまわることができませんでした。
ミカには大好きな場所がありました。それは真っ赤な果実のなる樹が立つ、誰も知らない秘密の丘でした。そこでは身も心も、あらゆるものが軽くなりました。
ミカは丘の上でだけはいきいきと過ごすことができました。
ある星夜、花の唄を歌っていたミカをもうひとり少女が訪ねました。
「わぁ、みたこともないきれいな丘!」
コバルトブルーの髪を持つ少女は名をユカといいました。
ユカは冒険が大好きで、毎日新たな地を求めて走りまわっていました。
訪問者はミカをみつけて問いました。
「あなたはだーれ?」
「あたしはミカ。あなたは?」
「わたしユカっていうの! ミカはいつもここにいるの?」
「うん。ここにいるとね、体がとっても軽いの」
「わぁ、ほんとうだ! ふしぎだね〜」
ユカはすっかり丘を気に入り、それから毎日ふたりはのどかな時間をすごしました。
夜になれば星たちの頌歌が聴こえ、朝がくると海風のビロードがふたりを優しく撫でました。
ふたりは時に、樹になる果実を食べました。それはとても甘くて、ふたりの心は暖炉のようにぽかぽかになりました。
丘はふたりだけの楽園になりました。
ある日、ユカはふと言いました。
「わたし、ちがうところでもミカと遊びたいな!」
「ちがうところ?」
「うん! この丘のおそとにある、お山とか、 浜辺とか!」
ユカは素敵な場所をたくさん知っていました。だから、大好きなミカにもそれを見せたかったのでした。
朗らかに話すユカをみつめながら、ミカは寂しそうに応えました。
「あのね、あたしの病気ね、なおらないんだって。だから、この丘のそとでは遊べないの」
ユカもまた、寂しそうに応えました。
「そっかー……」
それでもユカは諦めませんでした。ミカに自由になってほしいと、心から願っていました。
そして物知りなユカはあることを思いつきました。
「ミカ、あのね!」
ユカは立ち上がり、樹の真上に輝く星を指差しました。
「あの赤い星、アンタレスはね、べつのせかいのお星さまなんだって」
「べつのせかい…?」
「そう、宇宙よりもおそとのせかい! そこではね、光がもっと速いから、ここからでもむこうのお星さまがみえるの」
ミカもそっと立ち上がり、夜空を見上げました。遠い知らない世界に思いを馳せながら、ミカは天へと手を伸ばしました。
その目に映る幾千の星々は、ミカの心を静かに焦がしていました。
「ねえミカ、行ってみようよ!」
青の少女は無垢に笑いかけました。
「アンタレスに行けば、ミカの病気はもっと軽くなるかもしれないよ!」
「あたしが、アンタレスに……?」
ユカはうなずきながら黄の少女の両手を取りました。
「しんぱいしないで。わたしがミカをつれてくよ!」
ユカはまっすぐミカの目をみつめました。そして、ミカの手をぎゅっと握りながら言いました。
「わたし、ミカのこと〝あいしてる〟の! だから、わたしがミカのこと、まもるから!」
ミカはその言葉にすこし驚いたあと、やさしく言いました。
「うれしいよ、ユカ。でも、ごめんなさい」
「あたしね、〝アイ〟がよくわからないの。だから、ユカのアイはもらえないわ」
その言葉にユカは目をまんまるに見開きました。そして下を向いて、黙ってしまいました。
幼いふたりのすれ違いが、ユカの心をぐっと押しつぶしました。
そんなユカの表情を見て、ミカは言いました。
「でもね、アンタレスをめざすのはとってもすてきよ」
ユカが顔を上げると、明るく笑いかけるミカがいました。
「ユカ、あたしと旅をしてくれますか?」
その言葉にユカの顔もぱあっと明るくなりました。
「うん……! よろこんで!」
そうしてふたりは楽園を去り、旅が始まりました。
少女たちを見送るように丘の草木は揺れ、星々は静かにまたたいていました。
「アンタレスまではどれくらい遠いの?」
「んーとね」
「夏がくるでしょ? そしたら冬がくるでしょ? それをね、せん回くらい!」
「すごく遠いけど、ユカとならだいじょうぶかも!」
ふたりはみつめ合い、目を細めて笑い合いました。繋いだ手が描く螺旋は気がつけば──遠く、遠くまで伸びていました。
──アンタレスの果実──
あれから千年の時が経ちました。
それは長く困難な旅路でした。時に躓き、躊躇うこともありました。
光に飲まれ、眩むこともありました。暗闇に飲まれ、見失うこともありました。
それでも心の焔を絶やすことなく、少女たちは歩いてきました。
旅路でふたりはこの世のすべてを見ました。ひとつの銀河の終わりも、運命の行く末も、ふたりで見届けてきました。
星雲を駆けゆく帆船に手を振ったこともありました。止まない雨に潤う砂漠の惑星も見ました。
それでも繋いだ手を解くことなく、少女たちは歩いてきました。
いま、旅は終わりを迎えました。
少女たちは宇宙を果てを越え、遥かな星の世界へと辿り着いたのでした。
ふたりが降り立ったのは、アンタレスのすぐそばの小さな彗星でした。そこは一面を熱砂に覆われた、無限の星のかけらが降りそそぐ茫漠とした大地でした。天蓋を埋め尽くすほどの星々の彩は、夜空から闇を取りあげるようでした。
見れば誰もが終着だとわかるその光景に、ユカもミカも息を飲みました。
「これが……」
「うん……」
そして、また歩きだしました。歩を進めるたびに、砕けたかけらがシャリシャリと鳴りました。その音は風に乗って、地平線まで冷たく響きました。
「わたし、ね」
前を向いたまま、ユカは言いました。
「ミカを見つけたあの日、木の下で屈むあなたの姿が酷く小さく見えたの」
続けてユカは言いました。
「この子はずっとひとりで闘ってきたのかな、って。そんなふうに思えて、ほうっておけなくて」
「ユカ……」
「わたしがミカを笑顔にしなきゃと思ってっ……」
声を絞り出すユカの瞳は、涙を抱えて滲んでいました。
「ごめんね、ミカっ! わたし、約束を守れなかった」
「ミカの病気はどんどんひどくなるのに、わたし、何もしてあげられなかった!」
そう叫ぶとユカはうずくまってしまいました。
ユカの言うとおり、長旅を終えたミカの心臓は、もうあまり動いていませんでした。
「ユカ、謝らないで」
ミカは微笑んで言いました。
「あたしね、ずっとお空に憧れていたの。でも、あたしひとりではあの丘から出られなかったから、ユカに連れ出してもらえてすっごくうれしかったのよ」
ユカは顔を上げました。
「あの日、ユカはあたしに〝愛してる〟と言ってくれたよね」
「それは……」
「あの時はあたし、愛をなにかとても重たいものだと思っていたの。だから、受け取るのが怖かった」
ユカはうなずきながら聴いていました。
「でもね、そうじゃなくて。愛ってもっとすばらしいものだと思うの。あたしがずっと知りたかった、そういうなにか」
ミカはまっすぐユカの目をみつめました。そして、ユカの手をぎゅっと握りながら言いました。
「そう思えたのは、ユカと旅をしてきたからだよ」
「ミカ……」
ミカのやさしい眼差しに、漸くユカの表情もほころびました。
その時でした。
突然、地面の隙間から無数の光の腕が現れ、ふたりを取り囲みました。光はミカへと巻きつき、やさしく抱きしめました。
「ミカっ……!」
驚くユカに対して、ミカは愉しげに言いました。
「ユカ、すごい……軽いの!」
ミカの体はだんだんと、重さを失っていきました。
光の渦は瞬く間に激しさを増し、ふたりの手を振り解きました。そうしてミカの体はふわり、光にさらわれて宙に浮き上がりました。
「ミカっ! いやだっ、いかないで……!」
泣き叫ぶユカを置いて、ミカは心地良さそうに上昇を続けました。
「わぁ……あたし!」
いま、夜空の星たちは周り、円の軌跡を描き始めました。それは油絵でしか見たことのない光景でした。
そして今度は、歌が聴こえるようになりました。風とかけらが手を取って踊り、星と共に合唱を始めたのでした。
その時、ユカは気づきました。輝くミカの手足が、体が、光の粒へと解けてゆくのでした。
ミカが声を出すよりも先に、ミカが声高に言い放ちました。
「ねえ、ユカ! 聴いて!」
強まる眩耀に気圧されて、ユカはもう泣きじゃくっていました。
「あたしたちが見てきたものも、ぜんぶ愛だったんだよ!」
「愛はもらうものじゃなくて、与えるものだったの!」
「だからね、世界中を愛で満たしたいの!」
光の奔流と星の絶叫の中、大粒の雫をとめどなく流すユカの瞳をみつめて、ミカは言い立てました。
「あたしね、これからたくさんの世界を巡るの。雨となって木々を育て、鳥になって花々を運ぶのよ」
「これはお別れなんかじゃないよ、ユカ」
「だからユカも旅を続けて、世界中に届けよう」
ミカはさいごの力を振り絞って伝えました。
「あたしたちの愛を、届けよう!」
ミカのその言葉に呼応するように、瞬間、閃光があたりを塗りつぶしました。あまりの眩しさに、ユカは思わずまばたきをしました。
そうして次に瞼を開けると、そこには赤く燃えたぎる大きな果実が浮かんでいました。それは美しく淡い、石蕗色の光を放っていました。
「ミカ」
両手を伸ばして、ユカはそっと果実を抱えました。
「ふふ、ユカ」
「ミカ……本当に行っちゃうの?」
「そうよ、ユカ」
少しの沈黙のあと、ユカは言いました。
「ミカ、わかった。わたしも旅をする」
「本当に? うれしい」
「だから、また会えるよね?」
「どこに居ても会えるよ」
「また一緒に遊んでくれるよね?」
「もちろんよ」
「……それならわたし、寂しくない」
「あたしもだよ、ユカ。これからも、前を向いて歩こうね」
ふたりはみつめ合い、抱きしめ合いました。
「ミカ、愛してる。愛しているよ」
「あたしもよ、ユカ。愛してる」
「えへへ」
「ふふ」
そうしてふたりは熱砂の上で、手と手を繋いで踊りました。あの丘で覚えた唄を歌いながら、いつまでも踊りました。
明けない夜が明けるまで、ふたりの歌声が響きわたりました。
polabUli kazma zela Ogi nE.
polabyuli kazma zela yogi nye;
(わたしたちはみんな星のかけらなんだね)
akUli i halai ul lulasi.
akyuli i halai ul lulasi;
(水も花も光だよ)
volamzul Uo,
volamzul yuo,
(心を燃やすんだ)
selan dUlalo lupilazul.
selan dyulalo lupilazul;
(世界を美しからしめるために)
ぱたんと絵本を閉じる音が、まだ明るい深夜の研究室に反響する。そこに居るのは、デスクに向かって頬杖をつき、物思いに耽る白衣の科学者。彼女はそっと、吐息を漏らした。
それとほぼ同時、扉がガチャリと開く。
「お疲れ様でーす、結理先生」
コーヒーを片手に持ち、レザージャケットを着崩したうら若い研究員が入ってくる。
「あら、こんばんは。〈華澄(かずみ)〉ちゃん」
博士と助手の、誰も居ない研究棟での邂逅。
「こんな遅くまで実験かしら? いつもありがとうね、華澄ちゃん」
「いえ、全然大丈夫っス、おかげさまで順調ですから。それより先生の方が心配ですよ、根詰めすぎじゃないっスか最近」
そう言って成果を提出しようと近づいた華澄が、結理の手元に気づいて声を上げる。
「わー、懐かしい絵本!」
華澄が思わず手を伸ばした。
「あっ! こ、これはねっ……ちょっとお部屋を整理していたら見つけちゃってねっ! そう、だから、ちょっと読んでいただけで……」
結理は慌てて本をしまおうとする。その様子を気にも留めない口調で、華澄は話した。
「その本、アタシもよく読み聞かせてもらったんですよね」
「えっ……本当に!?」
結理が振り向いて、興奮気味に訊ねた。
「華澄ちゃんは子どもの頃、このおはなしを理解できていた?」
「半分くらいっス。なんか後半は言葉が難しくて、いつも途中で寝てました笑」
「やっぱりそうよね……子どもには少しレベル高いかしら、と思ってはいたのだけれど」
そう笑う結理の顔は感傷的で、それが華澄の目には、雛が独り立ちするカワセミのように映った。
「まぁとにかく、先生もちゃんと寝た方がいいっスよ。〝ベルゲルミル・ローゼン橋〟の研究も、もうすぐ大詰めですから」
華澄は涼しい顔で、略式の気遣いを示した。
「あなたもだからね、華澄ちゃん。〝それ〟は程々にしておきなさいよ」
そう言って飲んだくれの助手が手にする液体を睨む結理。それに対して華澄は、ヘラヘラと空返事を残し部屋を後にした。
「まったく……真剣に心配しているのに」
そう漏らしながら時計に目をやると、針はすでに1B時を回っていた。
イヤホンを挿し、灯りを消してゆっくりと窓辺へ向かい、カーテンを全開にする結理。降るような満天の星の海で、一際目立つ雄大なさそり座──赤く燃えたぎるその心臓を、彼女はただ、じっとみつめていた。
PLAYLIST:
Illustration by pod
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